高野幸子(ゆきこ)
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広島生まれ広島育ちの私は、3人姉妹の真ん中っ子として生まれました。
2つ年上の姉と1つ年下の妹。
年代の詰まった3姉妹で、そこそこ賑やかな家族だったと思います。
3姉妹の真ん中なので、
自己主張をあまりせず上下のバランスを取りながら…
それでも、
妙にこだわりの強い典型的な真ん中っ子。
(真ん中っ子ならわかってくれる?)
幼少期住んでいた家の周りは自然が多く、
近所のお友達と山に探検に行ったり、木の実を収集したり、草をつぶして遊んだりと、割と野性児でした(笑)
実家は自営業。
「父や母はいつも近くで働いている」
「働くことは生きること」
父と母の働く姿を間近で見ているのが当たり前で、
自然とお仕事に対してはそんな感覚を身に付けていた幼少期。
実は、お好み焼き屋の娘
県外の人にこの話をすると、大体笑って頂けるのですが、家業はお好み焼き屋さんでした。
(広島出身っぽいと)
元々はガラス屋さんだった稼業は、たこ焼き屋になり、その後お好み焼き屋さんへと転身を繰り広げる、自宅兼お店のおうちで育ちました。
お店の手伝いとか、普通にさせられましたねぇ…
書道との出会い
書道に出会ったのは小学校二年生。
当時、お店兼自宅のお向かいに書道教室があり、親の「お習字ならってみんちゃい!」と、そんな言葉と共に教室に通う事になりました。
自主的でもなく、好きだからでもなく、親に言われて始めた書道。
その書道が現在の私の身となりお仕事にもなっている。
人生って何がキッカケになるか?本当にわかりませんね。
青春時代
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割と普通の中学高校時代。
普通にお友達もいて、いじめらることもなく。
一応、運動部に所属はしましたが、けっこう早めに退部。
その後、美術部に入る事になりました。
美術部と言っても、ほぼ漫画クラブのような雰囲気で、好きな時に漫画を読んだり書いたりする感じです。
そのなごりもあってか、大人になった現在でも漫画は大好きです。
あと、気ままな部活だったため、この頃はゲームにもハマってましたね。
ドラクエ、FF、等メジャーどころを何度もやってました。
妄想大好き!ファンタジー大好き!は、
間違いなくここで培われています(笑)
そんな学生時代を過ごしながらも、
家の目の前にある「書道教室」にはずーっと通っていました。
簡単に言えば、
「辞める理由がなかった」
「辞めるタイミングがなかった」のです。
あと続けてきた理由の一つは、
他の人よりも「少し上手だった」
そこに自分が少しだけ自信を持っていた。
後は、淡々と目の前の課題をこなす事が苦ではなかった。
今振り返れば、そんな理由もあったと思います。
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書道がキッカケで大学進学
高校卒業を控えた頃、当然のように進路を決めなくてはなりません。
ただ、私は地域密着のお好み焼き屋さんの娘です。
家の家計の事もなんとなく解っています。
家計のことは感じつつも、学生時代のんびり過ごしてきた私。
今の自分で社会に飛び込んで行って、果たして通用するのか??
将来への不安が広がりまくる。
まだ準備ができていない。
それははっきりと自分の中で分かっていたこと。
就職することも頭に入れ進路を考えているそんな時、地元の大学に『書道を専門で学ぶ学科がある』という事を知り、親に話をしてみる。
実は、先生という職業にちょっと憧れをもっていました。
両親もそれはなんとなく気付いていたんだと思います。
「わたしには今これしかないかもしれん」
「書道をもっと学びたい!」と。
親の了承を得た私は、ひたすら受験勉強。
無事に希望の大学に進学する事になります。
そして、
大学でも書道を学び、合わせて教員免許も取得することになるのです。
大学での挫折
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念願の書道を専門に学ぶ学校に進学。
授業の大半が「書道」です。
あたりまえだけど、今までの世界とは全く違った世界が目の前にありました。
町の教室でちょっと書道が上手かった私は、大学に入り、みんなとの実力の差を見せつけられ愕然とします。
なんとか遅れないように、必死でついていきますが…
センス、感覚、
それぞれが書道に費やしてきた時間
全てにおいて、全然自分が通用しないことを痛感しました。
そんな中でも、
「自分のレベル」を受け止め
「自分の表現」を見つけ
「自分の好きなもの」を描く。
そんな事を学んだ大学時代でした。
中学、高校時代は、なんとなくで過ごしていたら、なんとなくやり過ごせるという時間でしたが、大学時代は自分が書かなくては何も進まない。
やっと自分自身と向き合う感覚を芽生えさせることができました。
あとは、集中力が養えましたね。
書道は大きな作品を書くことも多々あります。
文字数の多い作品は、最初で失敗しても途中で集中力を切らしても、最後まで書ききることはできません。
淡々と物事を進める。という、もともと得意だったことに集中力をさらに養うことができた。
そんな学生時代でした。
また、書道はお金がかかるので…アルバイトにも励んでいました。
でも、バイト代は、ほとんど紙や筆や墨汁に消えていきましたね(笑)
バイト先では、ほんの少しだけど社会を味わうことができて、貴重な経験もたくさんさせて頂いた良い時間でした。
先生になるか?
企業に就職するか?
さて、色々と学びの多かった大学時代も大詰め。
私には、選択をしなければならない問題が降りかかります。
先生になるか?or企業に就職するか?
書道という専門学科の先生になるのは、実は狭き門だったのです。
教育実習で学生たちに書道を伝える。
書道を通じて、学生たちとコミュニケーションをとる。
そんな経験をさせて頂き、とても充実した二週間で本当に楽しかった。
今、振り返っても、この時間は人生の宝物です。
このまま先生をお仕事にしたい!とも思えました。
ですが、奨学金の返済もしなくてはなりません。
働き始めたら、実家にお金を入れる事も始まります。
若干22歳の私に突き付けられた
「お金のブロック」問題。
本当にたくさん悩みました。
本当に将来について色々と考えた時間でした。
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企業への就職を決意
自営業の娘として育った私は、両親の苦労する姿も間近で見る事が出来てしまう環境でした。
お店の手伝いもしていましたし、お客さんの多い時とそうでない時の大変さなども、肌感覚でわかる訳です。
先生になりたい気持ち。
ただ、当時、広島市の高校では書道科教員正採用の募集はありませんでした。
地元から離れて先生になる選択肢もありましたが、奨学金の返済など…お金の事を考えると、
その選択も難しい?
では国語の先生なら?
今から勉強を開始し、果たして教員採用試験に一発合格できるのか?
いや、時間がかかり過ぎる。
たとえ、時間をかける事を許されたとしても、
本採用になるまでに「安定」とは違う職業に就くことになる。
(臨時採用や講師など)
本当に色々と考えた結果、就職を決意し就職活動を開始。
先生になる事を諦める。
その現実に後ろ髪を引かれる思いもありましたが、大学4年の夏に地元の優良企業に就職が決まりました。
会社員時代
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就職できた企業は世界と取引がある会社で、グローバルな視野を広げる良い勉強が出来ました。
書道科出身という事で、のし書き等を頼まれることがあったりもしましたね。
(書道の経験が活きる)
また、社会人になっても書道の腕を落としたくなくて、大学時代は通っていなかった自宅向かいの書道教室に再び通い始めました。
ここでもやはり、書道と私の関係は離れません。
会社では、その他にも
・会社の中のルール
・調和を大切にすること
などなど、
生きていく上での基本のルールをたくさん学びました。
この頃、お付き合いしていた彼と結婚。
馴れ初めは割愛します(笑)
本当に苦しかった不妊治療
同期や同年代の同僚達が次々と結婚・出産をしていく中、私達夫婦はなかなか子供を授かりませんでした。
今まで、割となんとなく上手く進んでいた。
世間一般の流れに沿って生きてきたはずですが、自分の力ではどうにもならないことがある。
そんな事を、この「不妊」によって、突きつけられました。
それでもやはり子供がほしい!と
たくさん病院に通って医療の力を借りて、結婚から8年かかってやっと第一子を授かりました。
「産まれて来てくれてありがとう。」
娘を抱いた時に、素直に出てきた言葉。
長かった不妊治療が報われた。
私も母親になれた。
本当に素直に嬉しかった。
産休~育休も取らせて頂き、その後、職場復帰。
更なる苦悩。
上手く行かない不妊治療
職場復帰からしばらく経過した後、私達夫婦は第二子を授かるために、再び不妊治療を始めます。
医療の力を借りれば、きっと同じように第二子も来てくれるはず!
そう信じていたのですが…
今回はそう簡単には行きませんでした。
あれ?どうして??
そう思いつつ、どんどん費やされる時間とお金。
でも諦めると第二子には会えない。
次第に家庭内の雰囲気も悪くなっていく。
第二子は諦めるか?いや、諦めたくない!
そんな不安定な日々を過ごす中で、とある人に出会い、こんな事を言われました。
「自分の世界は“自分自身が”作り出している。
自分で望んだ世界しか目の前には存在しない。」と。
正直、かなりムカついたのを憶えています。
こんなに子供が欲しいのに、授かる事が出来ない現実。
お金も時間もかけて頑張っている私達になんて事を言うの!?と。
ですが、
冷静に現実を眺めてみると、確かにその通りだと思う事がけっこうありました。
今なら本当によく解ります。
当時の私は、完全に意識が自分ではなく外に向いていた。
周りから後れを取ることを恐れ、それが嫌で、自分や旦那さんのことをきちんと見てなかった。
何より、これから授かる子供に対して目を向けられていなかった。
不妊だけでなくその他のことも全て同じ。
仕事内容や環境、人間関係においても、当時は上手くいっていなかった。
自分が「問題」と感じていることの多くは、自分が作り出してしまっているんだと。
意識が外に向いていたため、子供が授かれない現実は、無意識下で自分じゃない何かのせいだ!と思っていた。
誰かのせい。何かのせい。
その気持ちが、不妊だけではない、様々な問題の引き金になってしまっていた。
心のブロックを解除する
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不妊と自分が作り出す世界がどこかで繋がっていて、次々に問題を引き寄せている。
ということを感じ始めた時に出会ったのが
「心のブロックを解除する」という摩訶不思議なセラピー。
最初は「面白そうだな」と興味本位からブロック解除をしてもらい、
「これ?どうやってるの??」と興味津々になりました。
実は「誰でもできるセラピー」と言うことを知り、ならば自分でもやってみたい!
妊娠のブロック、お金のブロック、人間関係のブロックが外れるなら外したい!
そんな気持ちから、講座を受講し、心のブロックを外し心を整える。
そんな事を学び、自分でも実践するようになりました。
そんな中でも問題は次々とやってくる。
お金の問題。人間関係。
不妊治療を続けることが出来なくなるかもしれない問題にも遭遇しました。
ブロックを外し、心を整える
講座を受講する前の私ならば、きっと自分じゃない何かのせいにして、また不安定な日々を過ごしていた事でしょう。
ですが、今回の私は、講座で学んだ事を1つ1つ実践していきました。
さて、
じゃあ本当に、妊娠のブロックは解除できるのかな?と…不思議なほど冷静に。
コツコツと心のブロック解除を実践しながら生活していると、
今まで試していなかった方法に出会ったり、
それを前向きに採用できる気持ちが芽生えたり、人の意見を素直に聞き入れる自分になれていたり、
たくさんの変化を自分の中で感じていました。
ブロック解除を始めて10か月後、
見事に「病院に頼らない妊娠」で第二子を授かる事が出来ました。
嘘のような本当の話。
第一子の不妊治療を開始した際、
「自然妊娠は諦めた方が良い」と言われ、医療のチカラを借りて子供を授かった私達夫婦です。
それが、自然妊娠で第二子を授かる事が出来たのです。
自分の世界は“自分自身が”作り出している。
この言葉が自分の中でどんどん真実になっていく感覚を味わった経験です。
第二子の出産。感謝。
第二子妊娠後も切迫流産で緊急入院。
絶対安静の2週間と自宅療養の1ヶ月。
さらに切迫流産緊急入院など。
大変な事が多々起こる中でやっと出産。
勤めていた会社にはお休みもいただき、その後、産休育休もとらせて頂いて本当に助けていただきました。
本当に感謝しかありません。
無事に産まれてくれた子供。
周りの人達の協力。
理解、協力してくれた旦那さん。
そして会社。
本当に色々な事に感謝です。
育休復帰後、お世話になった会社に恩返しするつもりで勤めていました。
仕事も子育ても充実した日々。
家庭内の雰囲気も良く、幸せな日々。
そんな日が続く中で、私に人生の転機が訪れます。
人生の転機
「会社を手伝ってくれないか?」
そんなお誘いが友人から舞い込んできたのです。
新しく立ち上がる会社のオープンスタッフ。
条件は申し分なく、新しいことにチャレンジもしてみたかったし、人の心について学んだり、
それを中心に何か活動ができないかな?
そう感じていたところだったので、私の心は大きく揺らぎます。
ですが、正直、会社に恩義も感じています。
素直に感謝もしています。
しかし、新しい世界に対しての期待は、どんどん私の心を刺激して行ったのです。
私は、今後生涯に渡って、この世界にいるのか?
ずっと、
この世界に居ても良いのか?居るべきなのか?
とても社員に優しい恵まれた会社です。
生活のこともありますし、離れるのはとても心苦しい。
でも、心のブロックを解除し続けたおかげで、自分の心に背いて生きることが出来なくなっていました。
家族と相談したり、自分の気持ちとすり合わせたり、時間をかけて考えたりもしました。
そして、至った答えは、
新しい世界に行こう!
自分の可能性を広げよう!
自分の可能性を信じてみよう!
退職。そして…
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退職後、新しい会社に所属。
新しいチャレンジ!
…するはずが、なんと!
新しい会社が立ち上がらない!?
そう、新型コロナウィルスの影響で事業計画が破たん。
結果、新会社のオープンスタッフの話はまさに急転直下。
全てが立ち消えになったのです。
あれ?
わたし、退職の意向を伝えた後ですけど?
ん?
あれ?私、かなり険しい道に放り出されてない?
嘘でしょ!!
正直、かなり焦りました。
今更、会社に戻りたい!なんて言えないですし、生活の事もあります。
旦那さんが働いてくれてはいるけど、それだけでは賄えない現実。
そして、
私は半ば強引に人生の“大大大冒険”の道に進む事になったのです。
コロナめ!
いや、コロナのおかげ?
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新会社の立ち上げのお誘いより少し前の話…
私は、自分を救ってくれた心のブロック解除のインストラクターの資格を取得しようと考えていました。
私と同じように、問題や悩み事を抱えている人のお役に立てるかもしれない?
将来的に自分の仕事に出来るかもしれない?と。
ただ、資格取得のためには、最低でも3日以上の講座を受講しなくてはなりません。
対面受講のみ。
しかも、会場は横浜。
小さな子供がいる私には、広島から横浜まで講座を受講しに行くハードルが非常に高く、どうにか広島で講座を開いて頂けないか?と様々な行動を起こしました。
講師の方に広島で講座をやって頂けないか?とメッセージを送ったり、広島での講座を希望している人を集めたり…
そんな行動を起こしている最中。
ウィルスの感染拡大を受けて「緊急事態宣言」が発令。
移動が制限され、人と会う事が許されなくなる事態に世の中が変わって行きました。
さて、どうするべきか?
そんな風に考えていたところ…
なんと!
緊急事態宣言の影響で、講座のオンライン受講が可能になったのです。
もちろん、すぐに受講を申し込み講習を受けます。
そして、
インストラクターの資格を取得。
多くの人が頭を抱え本当に嫌な想いをしたであろう、いじわるウィルスのおかげで私は講座の受講が叶い、インストラクター資格の取得が出来ました。
ただ、ちょうどその頃、
新会社設立を断念する報告もあり、いじわるウィルスのせいで社会に放り出される事が決まったのですが…
コロナで大変な目にも会い、コロナのおかげで叶った事もある。
どう捉えたら良いのでしょうね?…
大冒険のはじまり
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人間のチカラではどうにも出来ない事態に遭遇し、図らずも社会に放り出されてしまった私ですが…
もう、やるしかない!
退職前にインストラクターになれたのも、何か意味があるはず!
これを自分の仕事にする!
強引に気持ちを奮い立たせ、個人事業主としての活動がスタートしました。
SNSを使い始め、心のブロック解除に興味がある人を集める。
時期的にも、環境が変わってしまったり、やりたい事が出来なくなってしまった人達も多く、そこそこセッション依頼のご希望も頂けました。
セッションを行う中で、
現在起こっている出来事がどれだけ社会生活に影響を及ぼしているのか?
どれだけ多くの人を苦しめているのか?
大変なのは私だけじゃない!
頑張らないと!
そんな気持ちに自然となってきました。
ですが、
SNSを活用すると、どうしても他の人がしている活動などが、情報として目に入ってきます。
あの人がこのくらいできている。
なのに私は出来ていない。
私って、どんなふうに見られているんだろう?
ブロック解除のセッション依頼を頂けていても、会社員時代に癖づいていた
「人の目を気にする」というものが、また再び浮上してきてしまいました。
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人の目が気になるのは、自分の足元や在り方が定まっていないから。
足元が定まらないのは、精神面でも収入面でも自分自身が不安定であるから。
何が違うんだろう?
なんだかしっくり来ない日々に違和感を感じつつも、講座の中で教わった事を自分の中で反復し気持ちを奮い立たせる。
でも、正直ちょっと苦しい。
ただ、発信をやめれば集客はストップし、収入も止まってしまう。
幸せそうに見えてないと、人は集まらない?
そんな想いに苛まれ、SNSの投稿が少し見栄っ張りになる。
うん。なんだか苦しい。
自分らしさって何?
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自分でお仕事を始める事よりも、ネットを使って物事を発信する事に対して、なんだかしっくりこない日々。
人の目が気になったり、変にかしこまったり、少し背伸びをしている自分に違和感を感じたり…
そんな悶々とした時間を過ごしているある日。
自分で書いた書道の作品を撮影し、SNSで投稿をしている私がいました。
私は気持ちが落ち着かない時や、ふと思い立った時に書道で字を書く事があります。
その時に浮かんだ言葉や、良い言葉だな~と感じた言葉、時に何も考えずにただ筆を走らせる。
趣味として向き合っていた書道。
きっと、そんな感じで書いたモノを投稿したと記憶しています。
それが、そこそこの反響を頂けた。
上手いね!字が綺麗だね!
そんな嬉しいコメントがたくさん入り、私は少し元気を取り戻します。
子供の頃、自分の書いた作品を先生に褒められているような…親に褒められているような…
そんな感覚を思い出しました。
そして、変に着飾った写真を投稿することでもなく、豪華なランチを食べているところでもなく…
無理して日常を演出などしなくても、書道と向き合っている自分が、いちばん自分らしい事にも気づけたのです。
書道教室たかの開室
後日、ランチ会で知り合った方から「書道やってみたい!」とお声掛けがありました。
正直、少しビックリしましたし、それ以上に私の心を躍らせるご要望でした。
実は…10年以上前に建てた家の中に、
「書道教室用のお部屋」を作っていたのです。
いつか、小さいお教室が出来たら良いな。
それが叶わなくても、自分の書道部屋か子供部屋に使えば良いか?と思っていた一室。
イベントやセッションで使用する事はあっても、書道教室として使った事はなかった一室。
よし!やってみよう!
ご要望にお応えするカタチで「書道教室たかの」を開室する事になりました。
2020年12月
緊急事態宣言が明けて、年末パンデミックが始まる少し前の出来事でした。
たかの「先生」になる。
年末に書道教室をスタートし、
初めての生徒さんがお友達を誘ってくださったり、教室の様子をSNSで投稿していく中、ご希望者も徐々に増え始めて行きました。
体験的にやってみたい!
昔、書道を習っていた。
などなど、動機はそれぞれでしたが、自分が想像している以上の方が訪れてくれるようになって行ったのです。
中には、遠方から足を運んで頂ける方も。
そんな中、
2021年4月から新一年生になる長女も2月からお稽古を開始。
すると、保育園の親御さんから
「娘さんを習わせたい。」というご要望。
娘と一緒にその娘さんもお稽古を開始。
そこからは、次第にお友達がお友達を呼んできてれる、口コミのカタチで教室に通ってくれるお子さん達が増えて行き…
気付けば「こども書道教室」のカタチが出来上がったのです。
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インスタグラムの投稿を見て、興味を持ってくださった方。
教室に通って頂ける方なども増え始めました。
学生時代、
様々な要因から諦める事になった先生への道。
書道を通じてコミュニケーションを取る事。
自分の出来る範囲で書道を伝える事。
それが、かなりの年月を経て叶ってしまったのです。
就職もしました。
結婚もしました。
不妊治療、出産もしました。
今まさに、子育ても経験しています。
様々な経験を経て、私は書道教室の先生になりました。
本当に思います。
人生って何がキッカケになるか?分からないですね。
また、とあるご縁から、介護施設への出張教室も毎月行なうようになりました。
ご年配の方と書道を通じて交流させて頂いているのですが、
これが、実に楽しい。
施設でゆったりのんびり過ごされていた方も、筆を握ると目の輝きが違うんです。
すごく上手な方もいますし、独特で個性的な字を書く人もいます。
1人1人の個性が字に現れる。
それは、大人も子供も同じ。
介護施設の出張教室は、
私に多くの学びを与えてくれています。
多くの気付きを与えてくれています。
![](https://syodo-takano.com/wp-content/uploads/2022/01/1029ss-1.jpg)
確実に言える事は、
人生の諸先輩方が真剣な眼差しで紙を見つめ、
筆を走らせるその姿は本当に美しいものです。
ご自身が書かれた文字を見て、
「これは、よく書けた!」
「ここがおかしいから直したい」
「次はこんなのが書きたい」
そんな素直なご意見を私に言ってくれる。
書道をやっていなかったら、出会わなかったであろう諸先輩方。
書道を通じたコミュニケーションが取れている。
そう実感させてくれる時間で、今の私にとって、本当に良い時間になっています。
書道とブロック解除を
組み合わせた、
メンタルケアセラピーを作る
![](https://syodo-takano.com/wp-content/uploads/2022/01/yukiko00114-6-1.jpg)
教室を開室したことで、当然、私も筆を握る時間が増えてきました。
文字を書くときは、自分自身にしか集中していない状態。
そのような時間を作っていると、段々と自分が整ってきたのを感じました。
自分自身やクライアントさまを含め、数多くの心の問題と向き合ってきましたが、書道の時間を作って、自分の心と向き合う作業をすると、現実が動く速度が違う事に気付いてきたのです。
その気づきの中で、
これを世の中の悩んでいる人や、何かを成し遂げたい人の為に活用出来ないか?
そう考えるようになりました。
本当に文字を書く事に集中すると、周りの雑音が入って来ない瞑想状態にも似たような感覚になります。
この現象を利用して、自分自身の在り方を描いたり、自分を見つめる作業が出来ないか?
夢や願望を文字で描く事によって、ビジョンボードのように活用出来ないか?
書道と向き合う時間を重ねる中で、
これまでに経験してきた事や、これまでに学ばせて頂いた事が線で繋がっていくかのように、幾つかのアイディアが浮かんで来たのです。
2021年後半、モニターさんを募ってテストを行いましたが、結果は当初の想像以上に現れ始めています。
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そして未来へ
さて、長い長いここまでのお話にお付き合いしてくださった、あなたに言わせてください。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
だいぶお時間使って頂きましたよね?
本当にありがとうございます。
なぜ?ここまで長いプロフィールを書いたのか?というと…
私の事を“ちゃんと”知って欲しかったのです。
だから、
学歴や経歴の羅列だけをする履歴書ようなプロフィールにせず、
これまで人に話をしてこなった辛い経験や、ちょっと恥ずかしい出来事も、ほとんど包み隠さず描かせて頂きました。
共感して頂けた箇所はありましたか?
ププっと笑って頂けた箇所はありましたか?
うわ、こいつバカだな!って卑下して頂ける箇所はありましたか?
あなたが、私に対してどんな印象を持って頂いたとしても、私はあなたに言いたい。
ここまで読んでくれて
本当にありがとう。
ただ、このプロフィールは、きっと書き直しをする時が来ると思います。
だって、未来はまだまだ、私に素晴らしい経験やほろ苦い出来事を与えてくれるはずだから。
私のここまでは、決して平坦な道のりではありませんでした。
きっと、これからもそうでしょう。
それと同様に、あなたのこれまでも決して平坦ではなかったはずです。
もし許されるのであれば、私と一緒に未来を変えませんか?
あなたが望めば、未来はきっと良くなるはずです。
そのお手伝いを私にさせて頂けるのであれば、
私は一生懸命あなたと向き合います。
イベント等で私の顔を見た際は、
「プロフィール見たよ!」なんて、お気軽にお声掛けください。
遠方の方は、SNSやお問い合わせのページからお気軽にメッセージをください。
あなたの変化のキッカケに、変化のお手伝いに、私、高野幸子が出来る事をさせて頂きます。
人生は何がキッカケになるか?分かりません。
それは、私が身をもって体験してきましたからね。
あなたが当然だと思っている事は、少しだけ視点を変えたり、心のブロックを解除する事で、
あなたにしかない強味に変える事だって出来ますよ。
あなたとお会いできる日を楽しみにしています。
今後ともよろしくお願い致します。
未来は僕らの手の中